東京地方裁判所 昭和56年(ワ)11784号 判決 1986年2月14日
原告
岡田理
右訴訟代理人
内山成樹
被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
金岡昭
外四名
主文
一 被告は、原告に対し、金七〇万八八九六円及びこれに対する昭和五六年五月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを八分し、その七は原告の、その余は被告の、各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が金五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一〇〇〇万八八九六円及び内金九五〇万円に対する昭和五六年五月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
被告は、警視庁を設置し、これを管理運営する地方公共団体である。
2 加害行為
(一) 原告は、昭和五六年五月二二日、「金大中氏らを殺すな!首都圏緊急運動」主催による「自由光州一周年―光州民衆決起を忘れない!日韓連帯大デモ」と称するデモ行進(以下、「本件デモ」という。)に参加し、右デモ出発点の東京都千代田区紀尾井町所在の清水谷公園から、デモ隊列横を歩き、デモの整理、連絡の役割に当たつていた。
(二) 本件デモ(参加人員総数五〇〇名余)は、約二五〇名ずつ二つの梯団に分かれ(以下、先発の梯団を「第一梯団」、後発の梯団を「第二梯団」という。)、その先頭にそれぞれ一台ずつ宣伝カーを配して行われていた、他方、警視庁第七機動隊は、本件デモに対する規制及び整理誘導に当たつていたが、第二梯団に対する規制に当たつていた警視庁第七機動隊第二中隊所属の機動隊員らは、宣伝カーとデモ隊の間に割り込み、第二梯団の先頭部を押え、行進を妨害する等の規制を行つた。右の規制は信号機のある地点で行われたというわけでもなく、また二つの梯団が接近しすぎたからというわけでもなく、かえつて、この規制によつて、二つの梯団の距離がますます開き、結局五〇〇メートル程にまでなるという全く理由のないものであつた。更に、右機動隊員らは、時として第二梯団先頭部の参加者らに対し、その腕を強くとり、殴りつけ、あるいは蹴りつける暴行を加えた。
(三) 本件デモが、同日午後九時一〇分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目一一番一号日本興業銀行東京支店先路上(以下、「本件現場」という。)にさしかかつた際、原告は、前記機動隊員らによる第二梯団に対する規制が過剰であつたので、歩道から車道上に降り、前記機動隊員らのうち、とりわけ前項記載のごとき暴行行為を積極的に行つていた山口哲史巡査(以下「山口巡査」という。)に対して抗議した。
(四) すると、山口巡査は、原告に対し、「生意気言うな。」と叫びながら、いきなり原告の左口唇部を右手拳で一回殴打し、原告は、後方に飛ばされ、左肘から路上に落ち、同所に仰向けに転倒した。
(五) その結果、原告は、通院加療約三週間を要する左上口唇裂傷、左肘部挫傷及び左下口唇挫傷の傷害を負い、直ちに東京都文京区本郷七丁目三番一号所在の東京大学医学部附属病院に運ばれ、同病院形成外科において、左上口唇部を約四〇針縫合する等の治療を受けた。
3 被告の責任
山口巡査は、被告の公権力の行使に当たる公務員であり、同人の原告に対する前記加害行為は、その職務を行うにつき故意になされた違法な行為であるから、被告は、国家賠償法第一条第一項に基づき、右違法行為によつて原告が被つた後記4の損害を賠償する責任がある。
4 損害
(一) 治療費 金八八九六円
(二) 慰藉料 金九五〇万円
前記1(四)の暴行により原告が被つた肉体的精神的苦痛を慰藉するには金九五〇万円が相当である。
(三) 弁護士費用 金五〇万円
原告は、原告訴訟代理人に対し、本訴の提起、追行を委任し、その報酬として金五〇万円の支払を約した。
(四) 以上、(一)ないし(三)の合計は、金一〇〇〇万八八九六円である。
5 よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法第一条第一項に基づき、右損害金一〇〇〇万八八九六円及び内金九五〇万円(弁護士費用を除く分)に対する本件不法行為の日である昭和五六年五月二二日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2(一) 請求の原因2(一)の事実のうち、原告が昭和五六年五月二二日、「金大中氏らを殺すな!首都圏緊急運動」主催による本件デモに参加したとの事実は認め、その余の事実は不知。
(二) 同2(二)の事実のうち、本件デモの参加人員の総数が約五〇〇名であること、警視庁第七機動隊第二中隊所属の機動隊員らが、本件デモの規制に当たつていたことは認め、その余の事実は否認する。
(三) 同2(三)の事実のうち、本件デモが、午後九時一〇分ころ、本件現場にさしかかつたとの事実は認め、その余の事実は否認する。
(四) 同2(四)記載の事実中、原告が本件現場において路上に転倒したとの事実は認め、山口巡査が原告を殴打したとの事実は否認する。
(五) 同2(五)記載の事実は不知。
3 同3の主張は争う。
4 同3の事実中、(三)のうち、原告が原告訴訟代理人に対して本訴の提起、追行を委任したとの事実は認め、(一)の事実及び(三)の事実のうち金五〇万円の報酬の支払を約したとの事実は不知であり、その余の事実は否認する。
三 被告の主張
1 昭和五六年五月一九日午後一時三〇分ころ、「金大中氏を殺すな!首都圏緊急運動」の代表者梅林宏道が警視庁を訪れ、東京都公安委員会に対し、同月二二日午後五時三〇分ころから人員五〇〇名で清水谷公園において集会を行い、その後、赤坂見附・溜池・虎の門・西新橋・国鉄新橋駅銀座口・数寄屋橋・鍜冶橋・呉服橋・常盤橋を経て同日午後九時一五分ころ常盤橋公園で解散することを内容とする、右緊急運動主催の「自由光州一周年・光州民衆決起を忘れない日韓連帯大デモ」と称する集会及び集団示威運動の許可申請を行つた。
東京都公安委員会は、右申請に対して、次の条件を附したうえ、これを許可した。
(イ) 交通秩序維持に関する事項
行進隊形は五列縦隊、一梯団の人員はおおむね二五〇名とし、梯団間の距離はおおむね一梯団の長さとすること。
蛇行進、うず巻き行進、ことさらなかけ足、おそ足行進、停滞、すわり込み又はいわゆるフランスデモ等交通秩序を乱す行為をしないこと。
(ロ) 危害防止に関する事項
凶器として使用しうるような危険な物件を携行しないこと。
2 同月二二日午後七時五〇分ころ、「金大中氏を殺すな、首都圏緊急運動」集会を終了した参加者五〇〇名は、第一梯団(約三〇〇名)、第二梯団(約二〇〇名)の順で清水谷公園を出発し、集団示威行動(デモ行進)を開始した。
3 第二梯団は、清水谷公園出発当初から、右許可条件に違背し、道路一杯の蛇行進を行い、午後八時ころ赤坂見附交差点に進入すると、三つのグループに分かれて、それぞれのグループがスクラムを組み、大きく蛇行進をするなど、交通秩序を著しく阻害する違反行為を重ねた。
4 このため、警視庁第七機動隊副隊長八木沢利三警視は、第二梯団に対し、許可条件に従つた行進をするよう再三にわたり警告を発したが、第二梯団は、この警告を無視し、なおも違反行為を継続したため、同副隊長は第二中隊長矢田部直之警部(以下、「矢田部中隊長」という。)に対し、第二梯団の違反行為を是正し許可条件に従つて進行させるように命じた。
右命令を受けた矢田部中隊長は、第二梯団の分裂した三つのグループに対し、先頭のグループから第三小隊・第一小隊・第二小隊の順で各小隊を割り当て、各小隊の小隊長に対し、車道中央線寄りから歩道方向に向かつて隊員を横隊に配置してデモ隊員を歩道方向に誘導し、行進が前記許可条件に従つて行われるよう整理することを命じ、特に先頭グループを担当した第三小隊の小隊長石樵博道警部補(以下「石樵小隊長」という。)に対しては、先頭誘導(デモ隊の先頭にいるデモ隊員を歩道方向に誘導してデモ行進を許可条件に適つたものにするよう整理すること)を命じた。
この命令を受けた石樵小隊長は、部下の第三小隊第二分隊長永吉忠雄巡査部長(以下「永吉分隊長」という。)以下五名(山口巡査を含む。)の隊員(以下「先頭誘導員」という。)を指定して先頭誘導の任務に当たらせた。
5 本件現場付近における状況
(一) 信号無視、蛇行進などの許可条件違反行為などを繰り返していたデモ隊は、同日午後九時過ぎころ、本件現場にさしかかつた。その際、二〇メートルないし三〇メートル前方にある車両用の信号機が赤色を示し、歩行者が同所の横断歩道を横断中であつたことなどから、石樵小隊長は、デモ隊の先頭部にいる者に対し、右信号が青に変わるまで一時停止するように申し入れた。しかし、右デモ隊がこれを無視してなおも前進を続けたため、石樵小隊長は先頭誘導員に対してデモ隊の進行を停止させるように命じた。
(二) この時、先頭誘導員は、車道中央線寄りをデモ隊と平行に縦一列に並んでその先頭部より数メートル先行して警戒に当たつていたが、右小隊長の命令により、デモ隊を停止させるためかけ足でデモ隊先頭部の前面に移動して横一列に並びデモ隊と正対する姿勢をとつた。しかし、デモ隊は、前進を止めないばかりか、かえつて、前かがみになりながらデモ隊員相互の間隔をつめて身体を密着させ合い、後ろの者が前の者の腰付近に手をかけて、そのまま先頭誘導員めがけて、激しく突進し体あたりをして来た。
(三) このため、先頭誘導員は、腰を低くしてデモ隊先頭部の者の胸や腰付近に手や肩をあてて、その前進を食い止めようとしたが、デモ隊の圧力に耐え切れず徐々に後退を余儀なくされた。一方、デモ隊先頭部の者は、「なぜ止めるんだ。」「車よりデモ行進が優先するんだ。」「機動隊はどけ。」などと怒鳴りながら前進を続ける後方デモ隊員に押され、その圧力により、身体が伸び切り、いわば、身体がせり上がるような状態となつた。
(四) このような状態のとき、信号が青色に変つたので石樵小隊長は、デモ隊の進行を制止していた先頭誘導員に対して「開け」という命令を出した。このころ、デモ隊の進行方向左側から、一人の若い男が「なぜ止めるんだ」などと大声で怒鳴りながら、デモ隊先頭部の者の前面に飛び出して来た。折りしも、右小隊長の命令によりデモ隊の先頭部を支えていた先頭誘導員があたかも扇を開くように車道中央線寄りに開き、デモ隊員が喚声をあげながら勢いよく前進し始めたため、デモ隊員が右の若い男を突き飛ばした結果となり、その男は歩道方向に転倒して行つた。
(五) 矢田部中隊長及び石樵小隊長は、右のような状況をデモ隊の右斜め前方で見ていたが、デモ隊がその勢いを緩めることなく、八重州交差点方向にかけ足で進行し始めたので、危険防止のため再度先頭誘導員をデモ隊の前面に配置してその進行を一時停止させた。そして、矢田部中隊長は、デモ隊の先頭部の者に対して、ことさらなかけ足行進などをしないように警告したうえ、先頭誘導員を車道中央線寄りに開かせたところ、デモ隊は、ようやく、正常な徒歩行進となり、八重州交差点を経て常盤橋公園に到着した。
6 以上のとおり、山口巡査もその他の機動隊員も、原告に対して暴行を加えたことはなく、原告は、デモ隊の先頭部分に突き飛ばされて転倒したものと思われる。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実は不知。
4 同4の事実は不知。
5 同5の事実中、デモ隊が午後九時過ぎころ本件現場にさしかかつたとの事実及びデモ隊が正常な徒歩行進により八重州交差点を経て常盤橋公園に到着したとの事実は認め、その余の事実はいずれも否認する。
6 同6の主張は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一1 請求の原因2(一)のうち、原告が昭和五六年五月二二日本件デモに参加した事実、同2(二)のうち、本件デモの参加人員の総数が約五〇〇名であつた事実及び警視庁第七機動隊第二中隊所属の機動隊員らが、本件デモの規制に当たつていた事実、同2(三)のうち、本件デモが午後九時一〇分ころ、本件現場にさしかかつたとの事実、同2(四)記載のうち、原告が本件現場において路上に転倒したとの事実は、当事者間に争いがない。
2 被告の主張1、2の事実、同5のうち、デモ隊が午後九時過ぎころ本件現場にさしかかつたとの事実及びデモ隊がその後正常な徒歩行進により八重州交差点を経て常盤橋公園に到着したとの事実は、当事者間に争いがない。
二1 右争いのない事実に、<証拠>によれば、次の(一)ないし(七)の事実を認めることができ、この認定に反する証拠は採用せず、他にこの認定を覆すに足る証拠はない。
(一) 昭和五六年五月二二日午後七時五〇分ころ、本件デモの参加者ら約五〇〇名は、清水谷公園における集会を終え、デモ行進を開始したが、参加者らは、許可条件に従い二個梯団(第一梯団約三〇〇名、第二梯団約二〇〇名)に分かれ、それぞれの梯団の先頭には宣伝車が配置されており、また、参加者らは、ヘルメットは着用しておらず、凶器となし得るような物は所持していなかつた。
(二) 原告は、同日午後六時三〇分ころ、清水谷公園に行き、集会に参加し、その後、右デモ行進に加わつたが、自らデモの隊列には加わらず、デモ隊列の横を歩き、デモの整理や二つの梯団の間の連絡の役割に当たつていたが、出発時からしばらくの間は、第一梯団と行動をともにしていた。
(三) 警視庁は、本件デモに対し、第七機動隊副隊長八木沢利三警視の指揮のもとに、同隊第二中隊(矢田部中隊長以下五〇名)を配備したが、同中隊は、三個小隊に分かれ、さらに各小隊には三個分隊があつて、山口巡査は、第三小隊に所属していた。機動隊員らは、いずれもいわゆる乱闘服を着用しており、また、警棒を所持し、手拳には籠手を装着していた。
(四) 第二梯団は、三列ないし四列縦隊で行進していたが、午後八時ころ、赤坂見附交差点にさしかかると、第二梯団は先頭・中間・後尾の三つのグループに分かれ、それぞれのグループが蛇行進を行つた。このため、八木沢副隊長は、矢田部中隊長に許可条件違反の行動を規制するように命じ、矢田部中隊長は、第二梯団の右三つのグループに対し、先頭のグループから第三小隊、第一小隊、第二小隊の順で各小隊を割り当て、各小隊の小隊長に対し、デモ隊の車道中央側に沿つて機動隊員を配置してデモ隊を歩道方向に規制し、蛇行進などをできなくするように整理することを命じ、特に第二梯団の先頭グループを担当した第三小隊の石樵小隊長に対しては、先頭誘導(許可条件を順守させるべく、デモ隊の先頭にいるデモ隊員を歩道方向に誘導するとともに、デモ行進の速度を調整すること)を命じた。この命令を受けた石樵小隊長は、部下の永吉分隊長ほか四名の機動隊員(山口巡査を含む。以下、「先頭誘導員」という。)を先頭誘導の任務に当たらせた。そして、永吉分隊長ほか四名の先頭誘導員は、宣伝車とデモ隊の先頭グループの間に入つてデモ行進を規制した。その規制の方法は、先頭誘導員がデモ隊の進路前方に横一列に並び、右足を前方に出して体重を左足にかけ、左足を大きくひいて、両手をデモ隊先頭部の者の胸、腰などに当ててその進行を制止し、規制を解除する時は、先頭誘導員は、デモ隊先頭部の者の胸、腰に当てていた両手で相手の体を押しながら自分の体を起こして飛び退き、車道中央線寄りに退くというものであつた。その過程で、機動隊員らとデモ隊員との間で押し合いや小競り合いになつたこともあつた。
(五) その後、本件デモは、溜池、虎の門、新橋駅前、数寄屋橋、鍜冶橋の各交差点を経由して順次進行したが、その間、右と同様の経過で機動隊とデモ隊の間で押し合い等があつた。原告は、その間、赤坂見附交差点等で第二梯団のデモ状況を見に来たが、数寄屋橋交差点までは、主として第一梯団と行動をともにしていた。原告は、機動隊員らによる規制は、宣伝カーとデモ隊先頭部との間に機動隊員(先頭誘導員)が入り込み、両者の間隔を離している点で不当であり、また一部機動隊員らによる前記規制行為は過剰警備であると考え、時時、デモ隊列の横から機動隊員に対し「やめろ。」などと抗議していた。
(六) 機動隊員らは、鍛冶橋交差点付近でも、前記(四)と同様の態様で本件デモを規制していたが、午後九時過ぎころ、本件デモが本件現場の横断歩道の手前約一〇メートルの地点にさしかかるころには、規制を解除し、永吉分隊長ほか四名の先頭誘導員は、第二梯団の前方右側車道中央線側に縦一列になつてデモ隊と並進していた。そこで、原告は、前記のとおり、機動隊員らによる規制行為に対して抗議しようとして、歩道から車道に降り、別紙図面記載のとおり、第二梯団先頭グループの左側から、右手前方を歩いている先頭誘導員に近づき(先頭誘導員らから見ると、原告は同人らの左後方から接近した。)、そのうちの一名に対し、「デモ隊と宣伝カーの間に機動隊員が入つてくることはできないはずだ。出ていつてくれ。」などと抗議した。ところが、右抗議を受けた機動隊員某は、そのまま前方へ黙つて歩いて行つたので、原告は、その左側に並んで、再び同様に抗議したところ、その機動隊員某は「生意気いうな。」と叫びながら、振り向きざまに右手拳で原告の左上口唇部を一回殴打した(以下「本件加害行為」という。)。そのため原告は、左後方に飛ばされ、左肘から路上に落ちて同所に仰向けに転倒した。
(七) 原告は、本件加害行為により、左上口唇裂傷、左肘部挫傷及び左下口唇挫傷の傷害を負い、直ちに東京都文京区本郷七丁目三番一号所在の東京大学医学部附属病院に運ばれ、同病院形成外科永田悟医師から、左上口唇部を約四〇針縫合する等の治療を受け、同年六月二日に抜糸するまで右病院に通院して治療を受け、瘢痕が治癒するまでには、なお約七か月を要した。
2 右1の認定に至つた理由を、若干の点につきふえんして説示する。
(一) 被告の主張は、要するに日本興業銀行東京支店前の信号機の手前一五ないし一六メートルの地点において、機動隊の先頭誘導員らが第二梯団の先頭部に対する規制を解除したところ、デモ隊が勢いがついた状態で前進を開始し、その時、ちようどそこに飛び出して来た原告が、デモ隊の先頭部に突き飛ばされて歩道方向に前のめりになつて転倒したというものであり、証人石樵博道、同永吉忠雄、同山口哲史は、いずれも被告の右主張に副う供述をしているが、右各供述は、以下に述べる点においてたやすく措信できない。
(1) <証拠>によれば、本件現場の横断歩道近くの信号の手前二〇メートルないし三〇メートルの地点において機動隊がデモ行進を規制した事実はない。これに反し、石樵証人は右地点において二〇メートルないし三〇メートル前方の信号が赤色だつたので規制を命じた旨供述し、永吉証人及び山口証人もこれを裏づける供述をするが、先頭誘導員四名がデモ隊の規制に入つてから、二、三歩後退する程度でデモ隊を止めることができたという右各証人の供述、他の地点例えば日枝神社前においては、停止線の四、五メートル前から規制に入つたとの永吉証人の供述に照らせば、前方の信号が赤色であるとしても、二〇メートルないし三〇メートル前から規制に入り停止させるということは、その必要性もなく不自然であるというべきであり、右各証人の前記供述部分は、たやすく措信できない。そして、規制がなかつた以上、それが解除された際に、原告がデモ隊に突き飛ばされ負傷したということもない筈である。
(2) <証拠>によれば、原告に生じた負傷は、左上口唇裂傷、左下口唇挫傷、左肘部挫傷であつて、それ以外の部分、例えば鼻や手などは何ら負傷しておらず、これに反する証拠はない。そこで仮に、被告主張の如く、原告が、あたかも堰を切つたように勢いよく駈け出したデモ隊に巻き込まれ、その最前列左端のデモ隊員に突き飛ばされ、前のめりに転倒したとしたら、通常反射的に手又は腕で顔面部を防護するはずであつて、何ら顔面を防護せず、前記の如き負傷をしたのは不自然であり、また顔面の他の部分や手を何ら負傷していない事実も被告の主張とは符合しない。
(3) <証拠>によれば、本件事故発生直後、同人らは、原告に暴行を加えたと思われる機動隊員に対し、同人を指さして抗議をしたというのであるが、他方、証人石樵、同永吉、同山口は、そのような抗議はなかつた旨供述する。しかしながら、昭和五六年五月二二日午後九時ころ本件現場付近を撮影した写真であることに争いがない乙第三号証中、№2、№3の写真には右証人山本及び同福富の証言に副うような情景が撮影されていることが認められる。
(4) <証拠>によれば、デモ隊が解散地である常盤橋公園に到着した後、宣伝カーが、デモ隊員が機動隊員から暴行を受けたと抗議する放送をしていた事実が認められ、これに反する証拠はない。
(5) <証拠>によれば、原告に暴行を加えた機動隊員某は、デモ隊員らから抗議をうけるや、上司の指示により、後方へと退去していつたことが認められ(以上の認定に反する証人石樵博道、同永吉忠雄、同山口哲史の供述部分は措信できない。)、また、証人永吉、同山口の証言(但し、前記措信できない部分を除く。)によれば、本件現場付近において先頭誘導の任務を離れたのは、山口巡査を含む三名の者であつたと認められる。ところで、被告側の主張によれば、解散地において起り得る混乱に対処するためには、指揮命令系統を明確にする必要があり、山口巡査ほか二名を本来の所属する分隊に復帰せしめたものであるというのであり、証人石樵、同永吉、同山口もこれに副う供述をするが、混乱が生ずるのは、デモ行進中でも同じであり、本件において、デモ行進に対する規制について指揮命令系統に混乱があつたと認めるに足る証拠はないのであるから、前掲乙第三号証の№2、№3の写真にみられるような混乱が生じた直後に、最も重要な任務を担当する先頭誘導員を交替させる理由としては不合理であり、むしろ、デモ隊先頭部からの前記抗議があり、混乱が大きくならないようこれを沈静化するため、先頭誘導員を交替させたものと推認するのが合理的である。
(6) 以上の(1)ないし(5)に説示したとおり、被告側の右主張及びこれに副う証人石樵、同永吉、同山口の各供述はたやすく措信できない。
(二) なお、原告は本件加害行為をした機動隊員が山口巡査であると主張し、<証拠>中には、これに副う部分もある。しかしながら、機動隊員らは、同一の服装をしていたうえ、本件加害行為が行われたのは夜間であるため一層判別しにくいと推認されること、右各供述によつても山口巡査に他の機動隊員らと一見して区別しうる身体的特徴があつたわけではないこと、原告本人も殴られた際の記憶がはつきりしないと供述していること等の点からすると、右各供述をもつて直ちに、本件加害行為者を山口巡査と特定するのに十分とはいえず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
三被告の責任
被告は警視庁を設置し、これを管理運営していることは争いがなく、また警視庁機動隊員が、被告の公権力の行使に当たる公務員で、本件デモに対する前記警備活動がその職務に該当することは明らかである。そして、本件加害行為は、警備活動を担当していた機動隊員によつて警備活動に伴つて故意に惹起されたもので、これを正当化する特段の理由があるものとも認められないから、違法であることは明らかである。従つて、被告は、原告に対し、国家賠償法第一条第一項に基づき、右機動隊員(なお、氏名の特定までは必要でないと解される。)の暴行行為の結果生じた損害を賠償する責任を負う。
四損害
1 前認定によれば、本件は、デモ隊員から警備活動について繰り返し抗議を受けた機動隊員が、憤激の余り暴行を加えたと推認される事案であつて、その抗議の当否は兎も角として、法の執行を責務とする警察官にとつては到底容認の余地のない行為であることは論を待たない。しかして、前認定の原告の負傷の部位、程度や、本件加害行為に至つた経緯、事後の被告側の対応等本件に顕われた一切の事情をしんしやくすると、原告に対する慰藉料としては金六〇万円を相当と認める。
2 <証拠>によれば、原告は治療費として金八八九六円を支出したことが認められる。
3 本件の事案にかんがみると、被告が負担すべき弁護士費用としては、金一〇万円をもつて相当と認める。
五以上によれば、原告の本訴請求は、右四1ないし3の損害金合計金七〇万八八九六円とこれに対する不法行為の日である昭和五六年五月二二日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の部分は、理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行及び同免脱の宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官根本 久 裁判官西尾 進 裁判官齊木敏文)